あのMITが自動運転車の持つべき倫理性について調査をしている。
これらの回答は自分自身が車両を運転する場合の信条、責任感、覚悟を反映したものである。歩行者をひき殺すくらいなら街路樹に特攻する、私が運転する車にはその覚悟を持って乗るように、というものだ。 そもそも車両の自動運転AIは、どちらかが死ぬべきかの判断をしなくてはならなくない状況に入らないよう、予防にこそ知力を尽くすべきであり、設問のように止まるという選択肢がなくなるような走り方はさせるべきではない。設問のような走り方をさせるなら、AIの行動を予測し進路を妨害することによって一種のテロにも使われてしまうだろう。 基本的に自動運転車両は、専用レーン以外は徐行を義務づける必要があると信ずる。それでも高齢化社会では自動運転のニーズがあるだろう。 かつて妻の生家で飼っていた馬は、橇を引いて目的地まで行き、自宅まで戻り、それから寝ていた御者の飼い主を起こしたという。それができるなら満足だ。それで一体、何の不足があろう。
トロッコは暴走させなければ良い。暴走した時点で負けなのだよ。